今日のタイトルは幻冬舎の見城徹とサイバーエージェントの藤田晋の共著のタイトルです。
本自体はさらさらっと読めるもので、僕自身がメンターとおもっているある方とのやりとりを彷彿させるものだけど、印象的なのは見城さんが
「仕事で3つ憂鬱なことがないと不安になる」
という一文です。3つも憂鬱があると僕はちょっとつらいけど(まだまだですね)昔とは違って
「1つぐらい憂鬱がないと仕事をしている実感がない」
という感覚があります。実際には仕事における大小の問題点や、うまくいかないこと、ただただ時間を消費させられる調整などいろいろありますが、そういったものすべてひっくるめて、月に数日仕事上憂鬱なことがない日があります。
それはそれで気分が晴れ晴れしていいのですが、一方で「なにかやりきれてないんじゃないか?」という不安が頭をもたげてきます。なんなんでしょうね、この感覚。
昨日も仕事上でちょっと憂鬱になることがありました。そのことは今日の午前中に解決してスッキリしているのですが、その解決の仕方があれでよかったのかな?と考えたり(今現在はそれしかないという解決方法ですが)、また次の仕事上の憂鬱を待っている自分がいるもの確かです。
憂鬱を好む人間などいない。
しかし一方で、憂鬱は大きな反発力を生む。
それに気がついた時、
憂鬱は間違いなく
仕事の糧になる。 見城徹
仕事の糧にすることができるようになってきたのかな?