僕は基本的に
弱音を吐かない。正確にいうと吐けないのかもしれない。
今やっているあらたな仕事のなかで「弱音を吐いてほしい人」がいる。通常から弱音を吐いている人だと、またか という感じで周囲からそのように見られるのだろうけど、その人には日頃から弱音を吐かない。しかし今回は弱音を吐いてもらいたいと切望している。
どうしてこのような心情になったのかは僕自身も不思議に思うのだが、その人は同じ様な年齢で、社会の中で同じ様な立ち位置で、そして新しい仕事を共にしている同志だ。
新しいことをはじめたので、それに関わる人がみんな未知の業務をやっていく中で、どうしてもだれかにそのしわ寄せというか、仕事内容の多さ、複雑さ、時間の取られ具合が集中してしまった。
組織のよさは弱みを弱みでなくすことだと、ドラッカーも言っているが、弱みを弱みでなくした後でも人間みな24時間という時間の中で、頭をクリアな状態で仕事をするにはある限界がある。
今回はその限界値を超えてしまった部分があり、その超えたという状況を周囲で共有出来なかったことが一番の問題だと思っている。
その点、危機察知能力に長けた人は生まれもって危機を察知出来た訳ではなく、何度も危機に直面したから危機察知能力が開発されたわけだが、このような危機察知能力が高い人は弱音を吐くのがうまい。
僕がその人のポジションだったらきっと弱音を吐くのが上手くないので同じ様な結末になっていたと思う。だからこそ、いまこそその人には弱音を吐いてもらいたい。
目一杯支えます。僕ら。
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